自己肯定感じゃなくて自己効力感をあげたい
対象
自己肯定感あげよう!にうんざりするひと
自己肯定感と自己効力感の切り分けがあんまりわかんないひと
伝えたいこと
できない自分が嫌だという気持ちは持ち続けていいと思うーーーそのまま自分の嫌さの解像度をあげていこう
自己肯定感=できない自分そのままを認める
できない自分もそのまま、ありのまま認められるのが自己肯定感というけど、むり。ちょっと決意したからって自分でどうにかなるなら苦労しない。
むりだから、それは放置して。私は「自己効力感」をあげたいと思う。
自己効力感=自分はやれる。の感覚
テスト前に「まあ勉強したら○点くらいはとれるかなー」の感覚
これがバグってると、結局自己肯定感も下がりがちになる。
できない自分もまるごと愛するって、
「まあそういう時もあるよね」「まあできない理由もあるよね」と受け止められるときだと思うんだけど、
私は自分がコントロールできない感覚がものすごいので、
「なんで意味不明な行動をしてしまうんだろう・・・・」と自己効力感がひくい。
できない自分を『無条件に』認めるなんて無理
だって、私自身理解できない行動や、
「やればできただろうにやらなかった」がランダム発生しすぎる。
一定でできないなら、自己見積もりもうまくなっていいのだろうけど、ADHDで出力が安定しなさすぎる。そんな不安定人材に私は無償の愛を注げない。
理由がほしい。
できない自分を認めるために苦手を理解する
人より個体値も努力値もバグってるので、より細かい踏み込んだ理解をしないと、自分を許せない。これは誰も代わってくれないし、周りから見たらわからない。
意味不明なできなさを許容はできないけど、ある程度の「こういう作業は苦手」「こういう場面だと、バグりやすい」とわかっていたら、まだ対策ができるし自己効力感があがる。
それが、自己肯定感にも繋がるんじゃないかなーと思いつつ、
「できない自分をそのまま認めるなんて無理だろ!!!!」と心の中で叫び続けます。概念的になってしまった。